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BLOG 〜FOOTBALL TRIP〜ジンガの読み物〜

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信 浦和レッズ入団 宮本優太

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した...

浦和レッズ入団 宮本優太 『遠慮なんてしていられない』 人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信  ShareTweetE-mail 「リーダー格で、チームを引っ張る力がある」 中野監督は宮本優太という『人』の部分をそう言葉で表現した。 試合の中やチーム内外だけでなく、さまざまなところに意識を配りその時の空気や人の感情、表情、自分のすべきことの中で何が一番適格かまでを 瞬時にそして自然に判断している気さえする。 そのくらい、周囲のひとつひとつにきちんと向き合っている姿は、まさにリーダー気質であり人が頼りたくなる頼りがいある存在といえるであろう。 「4年前の祝勝パーティーでは、付属高の一人としてこの場に立っていた宮本が」と、中野監督。 4年前—。 流通経済大学のインカレ優勝、そして流通経済大学付属柏高校の選手権準優勝を祝う盛大な祝勝会の場があった。 当時のチームは、川崎フロンターレに進んだ守田英正(現・サンタクララ)をはじめ、ジャーメイン良(現・ジュビロ磐田)や今津佑太(現・サンフレッチェ広島)、渡邉新太(現・大分トリニータ)などがプロの世界へと進むこととなり、各チームのユニフォームを着て立った。 その壇上には、流経柏のキャプテンとして立つ宮本優太の姿、菊池泰智(→サガン鳥栖)や薄井覇斗(→松本山雅)らの姿もあった。 彼らが新たに入学する新1年生の代を指して中野監督は当時 「新しい1年生世代は、きっとこの世代を超える」と口にしていた。 「4年前、プロにいく先輩たちを目の前にして、必ず自分も4年後プロに進む選手になっていたいと思っていた」と、宮本。 大きなタイトルを獲ったチームからは、プロに進む多くの選手たちが誕生するという形を目の前に実感した、4年前。 4年という時間を経て、濃密な経験と成長を手にした宮本優太は、浦和レッズのユニフォームを着て堂々、壇上に立った。 後輩にも伝えたい  年齢関係なく『とにかく積極的にぶつかること』で 確立した信頼と改革 , 大きなタイトルを獲り、多くのプロ選手たちを輩出した、輝かしく見えていた流経大トップチームへの進学。だが、実際に入ってみると問題点も多く、1年生ながら改善していかなくてはいけないと感じたことが多かったと宮本は振り返る。 1年生の6月頃からトップチームに上がった宮本だが、当時のトップチームは主力となっていた選手たちが卒業したこともあり、新しい世代で苦しい戦いをしていたことに加え、個性派と表現されることの多かったやんちゃさを持った4年生たちの方向性がひとつを向いているとは言い難い状況だった。 トップチームの低迷もあり、1年生主体チームで早速選手としての可能性を多いに感じさせていた選手たちを早い時期からトップチームへと昇格させ、中野監督は積極的に起用した。 当時のチームは決して良い空気とはいえず、当時の4年生の圧も相当なものだったが、それでも宮本は誰かが言わなければ変わらないと感じ、率先して先輩たちを相手に意見を言った。 「当時の4年生…今考えると,こわかったですね。でもそれでも言わなきゃいけないと思ったし、言わなきゃ変わらないと思った。 1年生だったけど、相当強い言葉で言っていたと思う。ピッチの上でも外でも。そのまま終わるのが、嫌だった」...

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した...

浦和レッズ入団 宮本優太 『遠慮なんてしていられない』 人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信  ShareTweetE-mail 「リーダー格で、チームを引っ張る力がある」 中野監督は宮本優太という『人』の部分をそう言葉で表現した。 試合の中やチーム内外だけでなく、さまざまなところに意識を配りその時の空気や人の感情、表情、自分のすべきことの中で何が一番適格かまでを 瞬時にそして自然に判断している気さえする。 そのくらい、周囲のひとつひとつにきちんと向き合っている姿は、まさにリーダー気質であり人が頼りたくなる頼りがいある存在といえるであろう。 「4年前の祝勝パーティーでは、付属高の一人としてこの場に立っていた宮本が」と、中野監督。 4年前—。 流通経済大学のインカレ優勝、そして流通経済大学付属柏高校の選手権準優勝を祝う盛大な祝勝会の場があった。 当時のチームは、川崎フロンターレに進んだ守田英正(現・サンタクララ)をはじめ、ジャーメイン良(現・ジュビロ磐田)や今津佑太(現・サンフレッチェ広島)、渡邉新太(現・大分トリニータ)などがプロの世界へと進むこととなり、各チームのユニフォームを着て立った。 その壇上には、流経柏のキャプテンとして立つ宮本優太の姿、菊池泰智(→サガン鳥栖)や薄井覇斗(→松本山雅)らの姿もあった。 彼らが新たに入学する新1年生の代を指して中野監督は当時 「新しい1年生世代は、きっとこの世代を超える」と口にしていた。 「4年前、プロにいく先輩たちを目の前にして、必ず自分も4年後プロに進む選手になっていたいと思っていた」と、宮本。 大きなタイトルを獲ったチームからは、プロに進む多くの選手たちが誕生するという形を目の前に実感した、4年前。 4年という時間を経て、濃密な経験と成長を手にした宮本優太は、浦和レッズのユニフォームを着て堂々、壇上に立った。 後輩にも伝えたい  年齢関係なく『とにかく積極的にぶつかること』で 確立した信頼と改革 , 大きなタイトルを獲り、多くのプロ選手たちを輩出した、輝かしく見えていた流経大トップチームへの進学。だが、実際に入ってみると問題点も多く、1年生ながら改善していかなくてはいけないと感じたことが多かったと宮本は振り返る。 1年生の6月頃からトップチームに上がった宮本だが、当時のトップチームは主力となっていた選手たちが卒業したこともあり、新しい世代で苦しい戦いをしていたことに加え、個性派と表現されることの多かったやんちゃさを持った4年生たちの方向性がひとつを向いているとは言い難い状況だった。 トップチームの低迷もあり、1年生主体チームで早速選手としての可能性を多いに感じさせていた選手たちを早い時期からトップチームへと昇格させ、中野監督は積極的に起用した。 当時のチームは決して良い空気とはいえず、当時の4年生の圧も相当なものだったが、それでも宮本は誰かが言わなければ変わらないと感じ、率先して先輩たちを相手に意見を言った。 「当時の4年生…今考えると,こわかったですね。でもそれでも言わなきゃいけないと思ったし、言わなきゃ変わらないと思った。 1年生だったけど、相当強い言葉で言っていたと思う。ピッチの上でも外でも。そのまま終わるのが、嫌だった」...

目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ 松本山雅FC 薄井覇斗】

FOOTBALL TRIP #5【目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『...

松本山雅FC入団 薄井覇斗 目標として追った守護神として君臨した存在 自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ ShareTweetE-mail J1クラブ入り7名を含む12名ものJリーガーを輩出することとなった流通経済大学で守護神を務めたのが GK薄井覇斗だ。 流通経済大学付属柏高校では高校選手権準優勝を経験し、日本高校選抜への選出など、注目された高校時代を経て流通経済大学に入学し4年間を戦った。 しかし、その道のりは平坦だったわけでは当然ない。 プロサッカー選手になる、と覚悟を持って目標を掲げ過ごした4年間を経て、松本山雅FCで実現することが決まった。 「チームの中心になって、チームを引っ張る存在になりたい」と今後の目標を言葉にした。 チームの中心となる—。 それが実現できるGKであることが、薄井の特徴であり、特性だ。 不動の定位置オビを目指し、目標とした日々。 見つけた自分とは違う部分、そして自分にしかできないこと。 薄井の入学時。2つ上には当時、不動の守護神が君臨していた。 当時、東京五輪を目指すU22代表にも選出されていた現・横浜Fマリノスのオビ・パウエル・オビンナだ。 流経大からこれまで多くの選手たちがプロサッカー選手となり輩出されているが、入学前までにどんなに実績を持った選手であっても、コンスタントに1年生から4年生までトップチームにて試合に出続けていた選手はほとんどいない。 しかし、オビは1年生時の開幕戦からトップチームのゴールマウスにほとんどの場面で立ち続けていた。 薄井は高校生の時から、オビが在籍しているうちにオビを越えることを目標として掲げ、守護神オビの背中を追い続けた。 「自分との身体の大きさに差はあるが、手を伸ばしたり足の届く範囲だったりという守備範囲における身体での守り方は凄いものがあった。 そして監督やコーチに何を言われても、怒られても。常に良い意味で飄々(ひょうひょう)としていた。それはそれでしょ、と流せるというか、別にしてそれを置いておくことができる。 そのメンタル的な部分にも学ぶことがありました」 「自分は監督からの指示や言葉を受け止めやすい部分があって。必死になってそれをやらなきゃ。やらなきゃ。となってしまうところがあったので。 ミスしちゃいけない。これはやっちゃいけない。と縮こまってしまうクセがあって。プレーで良くない自覚があると、今の監督に言われてしまうかなぁと思ってしまったり。 でもそれを遠藤さん(遠藤大志GKコーチ)に話をすると、『監督に評価されるためだけにサッカーをやっているわけではないんだから。監督の言っていることは絶対に必要なことではあるけれど、そればかりを意識するな』と。 自分なりに噛み砕けるようにはなっていきました」 「でも中野監督が言うことっていうのはキーパーにとっては当たり前のことというかセオリーなこと。 ある種、当たり前のことなんです。でもその当たり前のことを指摘されるプレーをしてしまっている自分がいて。 だから、そういった部分に意識を置いて。セオリー通りのことは当たり前にできるように、そういった部分に意識して日々練習に取り組んでいました」...

FOOTBALL TRIP #5【目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『...

松本山雅FC入団 薄井覇斗 目標として追った守護神として君臨した存在 自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ ShareTweetE-mail J1クラブ入り7名を含む12名ものJリーガーを輩出することとなった流通経済大学で守護神を務めたのが GK薄井覇斗だ。 流通経済大学付属柏高校では高校選手権準優勝を経験し、日本高校選抜への選出など、注目された高校時代を経て流通経済大学に入学し4年間を戦った。 しかし、その道のりは平坦だったわけでは当然ない。 プロサッカー選手になる、と覚悟を持って目標を掲げ過ごした4年間を経て、松本山雅FCで実現することが決まった。 「チームの中心になって、チームを引っ張る存在になりたい」と今後の目標を言葉にした。 チームの中心となる—。 それが実現できるGKであることが、薄井の特徴であり、特性だ。 不動の定位置オビを目指し、目標とした日々。 見つけた自分とは違う部分、そして自分にしかできないこと。 薄井の入学時。2つ上には当時、不動の守護神が君臨していた。 当時、東京五輪を目指すU22代表にも選出されていた現・横浜Fマリノスのオビ・パウエル・オビンナだ。 流経大からこれまで多くの選手たちがプロサッカー選手となり輩出されているが、入学前までにどんなに実績を持った選手であっても、コンスタントに1年生から4年生までトップチームにて試合に出続けていた選手はほとんどいない。 しかし、オビは1年生時の開幕戦からトップチームのゴールマウスにほとんどの場面で立ち続けていた。 薄井は高校生の時から、オビが在籍しているうちにオビを越えることを目標として掲げ、守護神オビの背中を追い続けた。 「自分との身体の大きさに差はあるが、手を伸ばしたり足の届く範囲だったりという守備範囲における身体での守り方は凄いものがあった。 そして監督やコーチに何を言われても、怒られても。常に良い意味で飄々(ひょうひょう)としていた。それはそれでしょ、と流せるというか、別にしてそれを置いておくことができる。 そのメンタル的な部分にも学ぶことがありました」 「自分は監督からの指示や言葉を受け止めやすい部分があって。必死になってそれをやらなきゃ。やらなきゃ。となってしまうところがあったので。 ミスしちゃいけない。これはやっちゃいけない。と縮こまってしまうクセがあって。プレーで良くない自覚があると、今の監督に言われてしまうかなぁと思ってしまったり。 でもそれを遠藤さん(遠藤大志GKコーチ)に話をすると、『監督に評価されるためだけにサッカーをやっているわけではないんだから。監督の言っていることは絶対に必要なことではあるけれど、そればかりを意識するな』と。 自分なりに噛み砕けるようにはなっていきました」 「でも中野監督が言うことっていうのはキーパーにとっては当たり前のことというかセオリーなこと。 ある種、当たり前のことなんです。でもその当たり前のことを指摘されるプレーをしてしまっている自分がいて。 だから、そういった部分に意識を置いて。セオリー通りのことは当たり前にできるように、そういった部分に意識して日々練習に取り組んでいました」...

流通経済大学サッカー部 流経大 サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜

FOOTBALL TRIP #4 「突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証。 サンフレ...

サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜 ShareTweetE-mail J1内定7名を含むチーム史上最も多いJリーグ内定者12名。 今季のチームは、これだけプロの世界に必要とされる選手の多いチームであることで大きな注目を集めただけでなく、225名以上が所属する大所帯のチーム。 そこで、チームを代表するキャプテンを務めるということは、誰もが想像するよりもずっとずっと、重い。 史上最高とも評されたチームでキャプテンを務めたFW満田 誠は、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。 強く意識した『真面目』であるキャプテン。 自分の長所を突き詰め徹した『チームのために』 タレント揃いであることに加え、2020シーズンの曺貴裁氏による指導と教えにより急成長した選手たちも台頭したことで過去最強になるかもしれないと期待が懸けられたチームの新たなキャプテンに使命されたときは「自分でも意外だった」と話した満田。 「キャプテンは優太(宮本)が相応しいと思っていた。付属高(流経柏)でもキャプテンをやっていたし、チームを引っ張る強い力がある。でも自分がキャプテンと言われたことで、自分にどんなことが求められているのかと考えたときに、自分の長所である なにより『真面目』であることだと思った」 「チームの内外全ての人たちが見たり聞いたりしても、どこからでも自分は『真面目』であること、が必要だと思っていた」 225名を越える同世代の選手たちが生活を共にする日々の中で、様々な問題が常に存在する。さらにサッカーチームとして方向性を持って進まなくてはならない、チームとしての歩みも共存する。 その中でキャプテンという立場から、どうしても言いたくないことでも言わなければならない時がある。 時に問題提議をしたり、時に人を否定したり。嫌われ役になることもある。そういった時に説得力がなくては、と考えた。 「あの人に言われるなら仕方ない、という存在にならなければならないと思っていました」 『真面目』なキャプテンで在り続ける自分との葛藤や、『真面目』さを確立させるためにあった苦悩も当然存在したが、それでもチームのために、と自分のことは二の次としてチームの先頭に立ち続けた最高学年の1年間。 ひとつの節目を終えて時間を振り返ると、あっという間だったと表現する人が多いが 満田はこの1年を「すごく長かった」と振り返る。 大学サッカー最高峰の関東リーグを獲った彼らは、続くインカレでも当たり前のように大学の頂点を目指し挑んでいたが、準決勝で関西・阪南大を相手に延長まで戦い1-2で敗れた。 試合後、思わぬところで大学最後の試合となってしまった悔しさ溢れるNACK5スタジアムのピッチに最後まで残っていたキャプテン満田に、中野監督が寄り添うように肩を抱き、声をかけた。 「1年間、ありがとう。4年間ありがとうな。」 監督の言葉に、長かったキャプテンとしての1年間の張りつめていたものが一気に溢れ出た。自分の定めたキャプテン像を目指し、守り、戦った1年だった。 たまらなく、涙がこぼれた。キャプテンであるという重みをさらに重く課したのは、責任感からだった。 監督やスタッフ、そしてチームメイトも満田の『真面目』さ故にその課した日々大きくなる重みに潰されてしまわぬよう配慮だってしたはずだ。そう支え合っていた関係性があったからこそ、強くなったのだ。 大学4年間で成長できたと実感していることは、と問われ、 「キャプテンとしてチームを引っ張っていく難しさを学んだこと」と、満田は答えた。...

FOOTBALL TRIP #4 「突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証。 サンフレ...

サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜 ShareTweetE-mail J1内定7名を含むチーム史上最も多いJリーグ内定者12名。 今季のチームは、これだけプロの世界に必要とされる選手の多いチームであることで大きな注目を集めただけでなく、225名以上が所属する大所帯のチーム。 そこで、チームを代表するキャプテンを務めるということは、誰もが想像するよりもずっとずっと、重い。 史上最高とも評されたチームでキャプテンを務めたFW満田 誠は、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。 強く意識した『真面目』であるキャプテン。 自分の長所を突き詰め徹した『チームのために』 タレント揃いであることに加え、2020シーズンの曺貴裁氏による指導と教えにより急成長した選手たちも台頭したことで過去最強になるかもしれないと期待が懸けられたチームの新たなキャプテンに使命されたときは「自分でも意外だった」と話した満田。 「キャプテンは優太(宮本)が相応しいと思っていた。付属高(流経柏)でもキャプテンをやっていたし、チームを引っ張る強い力がある。でも自分がキャプテンと言われたことで、自分にどんなことが求められているのかと考えたときに、自分の長所である なにより『真面目』であることだと思った」 「チームの内外全ての人たちが見たり聞いたりしても、どこからでも自分は『真面目』であること、が必要だと思っていた」 225名を越える同世代の選手たちが生活を共にする日々の中で、様々な問題が常に存在する。さらにサッカーチームとして方向性を持って進まなくてはならない、チームとしての歩みも共存する。 その中でキャプテンという立場から、どうしても言いたくないことでも言わなければならない時がある。 時に問題提議をしたり、時に人を否定したり。嫌われ役になることもある。そういった時に説得力がなくては、と考えた。 「あの人に言われるなら仕方ない、という存在にならなければならないと思っていました」 『真面目』なキャプテンで在り続ける自分との葛藤や、『真面目』さを確立させるためにあった苦悩も当然存在したが、それでもチームのために、と自分のことは二の次としてチームの先頭に立ち続けた最高学年の1年間。 ひとつの節目を終えて時間を振り返ると、あっという間だったと表現する人が多いが 満田はこの1年を「すごく長かった」と振り返る。 大学サッカー最高峰の関東リーグを獲った彼らは、続くインカレでも当たり前のように大学の頂点を目指し挑んでいたが、準決勝で関西・阪南大を相手に延長まで戦い1-2で敗れた。 試合後、思わぬところで大学最後の試合となってしまった悔しさ溢れるNACK5スタジアムのピッチに最後まで残っていたキャプテン満田に、中野監督が寄り添うように肩を抱き、声をかけた。 「1年間、ありがとう。4年間ありがとうな。」 監督の言葉に、長かったキャプテンとしての1年間の張りつめていたものが一気に溢れ出た。自分の定めたキャプテン像を目指し、守り、戦った1年だった。 たまらなく、涙がこぼれた。キャプテンであるという重みをさらに重く課したのは、責任感からだった。 監督やスタッフ、そしてチームメイトも満田の『真面目』さ故にその課した日々大きくなる重みに潰されてしまわぬよう配慮だってしたはずだ。そう支え合っていた関係性があったからこそ、強くなったのだ。 大学4年間で成長できたと実感していることは、と問われ、 「キャプテンとしてチームを引っ張っていく難しさを学んだこと」と、満田は答えた。...

FOOTBALL TRIP #3 あの日の「Jリーグ」に向かって

FOOTBALL TRIP #3 あの日の「Jリーグ」に向かって

池田 紘大 〜あの日の「Jリーグ」に向かって〜 ShareTweetE-mail 大きな目標を持って日々トレーニングに向かう学生たちが多くいる。 大きな夢を叶えるために高校やクラブユース、大学の門を潜る選手が多くいる。 在籍したいチームや学校が強豪であればあるほど、その門は狭い。 そこに在籍するための競争を勝ち取ってプレーすることとなるが、それでも卒業時、全員がプロサッカー選手になるということは現実的に困難である。 プロサッカー選手にはなれなかった選手たちの多くは、サッカーを続けるか否かの選択に直面し、その後の自身の人生設計を改めて立て直す。 十勝スカイアース所属 池田紘大。 流通経済大学体育局サッカー部に所属していた彼は、生まれ育った北海道の地でJリーグ入りを目指す地域リーグのクラブに所属している。 3年前、大学のサッカー部を引退し卒業した後、就職先の入社式を目前にしていた彼は、大阪の地に立っていた。 大学卒業時にプロサッカー選手になるという目標には届かず、もうサッカーはやらないと決めていた気持ちを突き動かしたのは、 あの日の「Jリーグ」だった―。 ひとつひとつ成長と経験を重ねた大学時代  最上学年でぶつかった壁を前に「もうサッカーはやらない」と決めた 北海道の強豪高校のひとつ、旭川実業高校の中心的選手であった右のアタッカー池田紘大の名は、高校時からサッカー関係者の中で知られており複数の強豪大学サッカー部関係者、プロのスカウトも視察に訪れていた中で、池田紘大がプロサッカーの世界を目指すにあたり選んだ次なる道は、流通経済大学だった。 入学時、当時の4年生には田上大地(現アルビレックス新潟)がキャプテンを務め、湯澤聖人や山岸祐也(現アビスパ福岡)などが在籍しており、流通経済大学サッカー部 創部50周年にあたる年代だった。 50周年のメモリアルイヤーに相応しく強化されてきたトップチームは、どの大会でも優勝候補に挙げられるほど強力な存在感を放ち、その4年生中心のトップチームを目の前にして 「とんでもないところに来てしまったと思いましたね。レベルもオーラも自分の想像よりも遥かに超えていた。とんでもない先輩たちが多くいて、とにかく圧がすごかったですね。迫力があった。こういう選手がプロになるんだと肌で体感した」 と振り返る池田の1年生時は、1年生中心に構成される流通経済大学FCで関東サッカーリーグ1部(KSL)を戦いながら、強力なトップチームを身近に観て感じ大きな影響を受けた。 「1年生中心だった流経大FCとは全然違うレベルのチームだった」と語る流経大ドラゴンズにその後所属、JFLで戦うという経験を積んだ。 「あの時のチームはすごくレベルが高かった。あの頃、トップチームとドラゴンズが毎週のようにガチで練習試合をしていて。ドラゴンズが勝つことの方が多かったのを覚えています。 JFLのファーストステージで優勝して。4年生の選手たちは後期からトップチームに移ったりだったけど自分は1シーズンドラゴンズでプレーしてJFLの頂点を決めるチャンピオンシップ、年間2位という経験をさせてもらいました」 ドラゴンズでの経験を経て、トップチームに昇格を果たすと、試合に出場し存在感を放つ。 総理大臣杯ベスト4やインカレ優勝などトップチームが刻んだ功績に貢献し、当時の4年生・守田英正(現サンタ・クララ)やキャプテンを務めた石田和希(Honda FC)、ジャーメイン良(現横浜FC)、渡邉新太(現大分トリニータ)、今津佑太(現サンフレッチェ広島)といった強力な4年生と共に 歴史に残る1世代の一員になった。...

FOOTBALL TRIP #3 あの日の「Jリーグ」に向かって

池田 紘大 〜あの日の「Jリーグ」に向かって〜 ShareTweetE-mail 大きな目標を持って日々トレーニングに向かう学生たちが多くいる。 大きな夢を叶えるために高校やクラブユース、大学の門を潜る選手が多くいる。 在籍したいチームや学校が強豪であればあるほど、その門は狭い。 そこに在籍するための競争を勝ち取ってプレーすることとなるが、それでも卒業時、全員がプロサッカー選手になるということは現実的に困難である。 プロサッカー選手にはなれなかった選手たちの多くは、サッカーを続けるか否かの選択に直面し、その後の自身の人生設計を改めて立て直す。 十勝スカイアース所属 池田紘大。 流通経済大学体育局サッカー部に所属していた彼は、生まれ育った北海道の地でJリーグ入りを目指す地域リーグのクラブに所属している。 3年前、大学のサッカー部を引退し卒業した後、就職先の入社式を目前にしていた彼は、大阪の地に立っていた。 大学卒業時にプロサッカー選手になるという目標には届かず、もうサッカーはやらないと決めていた気持ちを突き動かしたのは、 あの日の「Jリーグ」だった―。 ひとつひとつ成長と経験を重ねた大学時代  最上学年でぶつかった壁を前に「もうサッカーはやらない」と決めた 北海道の強豪高校のひとつ、旭川実業高校の中心的選手であった右のアタッカー池田紘大の名は、高校時からサッカー関係者の中で知られており複数の強豪大学サッカー部関係者、プロのスカウトも視察に訪れていた中で、池田紘大がプロサッカーの世界を目指すにあたり選んだ次なる道は、流通経済大学だった。 入学時、当時の4年生には田上大地(現アルビレックス新潟)がキャプテンを務め、湯澤聖人や山岸祐也(現アビスパ福岡)などが在籍しており、流通経済大学サッカー部 創部50周年にあたる年代だった。 50周年のメモリアルイヤーに相応しく強化されてきたトップチームは、どの大会でも優勝候補に挙げられるほど強力な存在感を放ち、その4年生中心のトップチームを目の前にして 「とんでもないところに来てしまったと思いましたね。レベルもオーラも自分の想像よりも遥かに超えていた。とんでもない先輩たちが多くいて、とにかく圧がすごかったですね。迫力があった。こういう選手がプロになるんだと肌で体感した」 と振り返る池田の1年生時は、1年生中心に構成される流通経済大学FCで関東サッカーリーグ1部(KSL)を戦いながら、強力なトップチームを身近に観て感じ大きな影響を受けた。 「1年生中心だった流経大FCとは全然違うレベルのチームだった」と語る流経大ドラゴンズにその後所属、JFLで戦うという経験を積んだ。 「あの時のチームはすごくレベルが高かった。あの頃、トップチームとドラゴンズが毎週のようにガチで練習試合をしていて。ドラゴンズが勝つことの方が多かったのを覚えています。 JFLのファーストステージで優勝して。4年生の選手たちは後期からトップチームに移ったりだったけど自分は1シーズンドラゴンズでプレーしてJFLの頂点を決めるチャンピオンシップ、年間2位という経験をさせてもらいました」 ドラゴンズでの経験を経て、トップチームに昇格を果たすと、試合に出場し存在感を放つ。 総理大臣杯ベスト4やインカレ優勝などトップチームが刻んだ功績に貢献し、当時の4年生・守田英正(現サンタ・クララ)やキャプテンを務めた石田和希(Honda FC)、ジャーメイン良(現横浜FC)、渡邉新太(現大分トリニータ)、今津佑太(現サンフレッチェ広島)といった強力な4年生と共に 歴史に残る1世代の一員になった。...

FOOTBALL TRIP #2 流通経済大学サッカー部 〜困難を乗り越え、いざタイトルへ〜

FOOTBALL TRIP #2 流通経済大学サッカー部 〜困難を乗り越え、いざタイトルへ〜

流通経済大学サッカー部 〜困難を乗り越え、いざタイトルへ〜 ShareTweetE-mail 残り、ひとつ。 流通経済大学サッカー部は今、12年ぶりの関東大学サッカーリーグ1部 優勝という大きなタイトルへの挑戦を前にしている。 日程としては10月末に最終節を迎えた関東大学サッカーリーグだが、新型コロナウイルス感染症の影響により延期開催となった試合を通常開催の試合の合間に戦い、かなりタイトなスケジュールの中、ひとつも落としたくないとモチベーション高く戦ってきた。 その結果、タイトルの可能性がある1チームとなり、迎える今週末。 流通経済大学サッカー部は、リーグ最後の試合として11月13日 現在1位を走る宿敵・明治大学との直接対決に挑む。 必ず1年で戻ってみせるという決意を前に 突然出現した予想しなかった危機 常に優勝候補として挙げられプロ選手を多く輩出する流通経済大学サッカー部が降格、というサッカー界に衝撃が走る結果となった2019シーズン。 屈辱の降格で誓った必ず1年で戻るという決意の元、迎える2020シーズンだった。 世界中がパニックとなる誰もが予想することができなかった難題が降りかかる。 新型コロナウイルス感染症のパンデミック。 日本でも感染拡大が始まり目に見えない、得体の知れないウイルスとの闘い。 ウイルスとどう闘えば良いか、どう防げば良いのかも手探りで日本中でマスクを入手することも困難となり、手を洗うためのハンドソープや石鹸すらも入手が難しくなるなど、パニックを極めた。 少しずつながら感染予防になにが有効かがわかってきた時、連日唱えられた『接触を避ける、飛沫を避ける、密を避ける』。それに加え、人との距離を取るソーシャルディスタンスの提唱。 ニュースを見ながら流通経済大学サッカー部のことを思った。 流通経済大学サッカー部は全寮制。200名を越える選手たちが寮で共同生活をしている。 1部屋に4人~の部屋が大多数。マスクを確保することも難しく、必要なハンドソープや石鹸、消毒の量も想像することも難しい量であろうと想像した。 大人数での共同生活という生活形態において、新型コロナウイルス感染を予防しながら生活をするということは容易ではない。 関東大学サッカーリーグをはじめ、総理大臣杯などさまざまな試合の中止や延期が決まり、開催ができるのかどうかもわからない先の見えない日々が続いたが、大学サッカー全体で新型コロナウイルス感染を予防する行動やルール、ガイドラインを定めながら関東大学サッカーリーグがスタート。 2部で戦う流通経済大学サッカー部は、曺 貴裁コーチを迎え「プレーとしてはもちろん、走ることひとつ、判断することひとつ、人間としての選択ひとつとっても、すべてがプロ基準に繋がっている質の高い指導」(満田誠 4年)の日々を重ねながら、新型コロナウイルス感染予防を徹底し、歩みを進めた。 リーグ2部所属のチームとしては史上初・チームにとっても初めてとなるアミノバイタルカップを制し、流通経済大学の存在感ここにありという強さを示すと、必ず1年で復帰という誓いを全うしリーグ2部優勝を決め、1シーズンでの復帰を決めた。 曺コーチとの出会いと、共に戦い重ねた日々は、 「サッカーのことはもちろん、人としてという部分を教えてくれた。人としてサッカー選手としてプレーだけでなく中身が成長できたという実感がある」(仙波大志 4年)...

FOOTBALL TRIP #2 流通経済大学サッカー部 〜困難を乗り越え、いざタイトルへ〜

流通経済大学サッカー部 〜困難を乗り越え、いざタイトルへ〜 ShareTweetE-mail 残り、ひとつ。 流通経済大学サッカー部は今、12年ぶりの関東大学サッカーリーグ1部 優勝という大きなタイトルへの挑戦を前にしている。 日程としては10月末に最終節を迎えた関東大学サッカーリーグだが、新型コロナウイルス感染症の影響により延期開催となった試合を通常開催の試合の合間に戦い、かなりタイトなスケジュールの中、ひとつも落としたくないとモチベーション高く戦ってきた。 その結果、タイトルの可能性がある1チームとなり、迎える今週末。 流通経済大学サッカー部は、リーグ最後の試合として11月13日 現在1位を走る宿敵・明治大学との直接対決に挑む。 必ず1年で戻ってみせるという決意を前に 突然出現した予想しなかった危機 常に優勝候補として挙げられプロ選手を多く輩出する流通経済大学サッカー部が降格、というサッカー界に衝撃が走る結果となった2019シーズン。 屈辱の降格で誓った必ず1年で戻るという決意の元、迎える2020シーズンだった。 世界中がパニックとなる誰もが予想することができなかった難題が降りかかる。 新型コロナウイルス感染症のパンデミック。 日本でも感染拡大が始まり目に見えない、得体の知れないウイルスとの闘い。 ウイルスとどう闘えば良いか、どう防げば良いのかも手探りで日本中でマスクを入手することも困難となり、手を洗うためのハンドソープや石鹸すらも入手が難しくなるなど、パニックを極めた。 少しずつながら感染予防になにが有効かがわかってきた時、連日唱えられた『接触を避ける、飛沫を避ける、密を避ける』。それに加え、人との距離を取るソーシャルディスタンスの提唱。 ニュースを見ながら流通経済大学サッカー部のことを思った。 流通経済大学サッカー部は全寮制。200名を越える選手たちが寮で共同生活をしている。 1部屋に4人~の部屋が大多数。マスクを確保することも難しく、必要なハンドソープや石鹸、消毒の量も想像することも難しい量であろうと想像した。 大人数での共同生活という生活形態において、新型コロナウイルス感染を予防しながら生活をするということは容易ではない。 関東大学サッカーリーグをはじめ、総理大臣杯などさまざまな試合の中止や延期が決まり、開催ができるのかどうかもわからない先の見えない日々が続いたが、大学サッカー全体で新型コロナウイルス感染を予防する行動やルール、ガイドラインを定めながら関東大学サッカーリーグがスタート。 2部で戦う流通経済大学サッカー部は、曺 貴裁コーチを迎え「プレーとしてはもちろん、走ることひとつ、判断することひとつ、人間としての選択ひとつとっても、すべてがプロ基準に繋がっている質の高い指導」(満田誠 4年)の日々を重ねながら、新型コロナウイルス感染予防を徹底し、歩みを進めた。 リーグ2部所属のチームとしては史上初・チームにとっても初めてとなるアミノバイタルカップを制し、流通経済大学の存在感ここにありという強さを示すと、必ず1年で復帰という誓いを全うしリーグ2部優勝を決め、1シーズンでの復帰を決めた。 曺コーチとの出会いと、共に戦い重ねた日々は、 「サッカーのことはもちろん、人としてという部分を教えてくれた。人としてサッカー選手としてプレーだけでなく中身が成長できたという実感がある」(仙波大志 4年)...